自爪育成2回目

学期末になると、息子たちのイベントが増えるので、ついついそっちに気を取られて、PCを開くのが億劫になっていた。しかも、夫の会社の決算月で、書類を作るのがめんどくさくて、溜まりに溜まった領収書をPCに打ち込むのが嫌で、見て見ぬふりをしていた。

 

ブログ書いたら、ちょっと仕事しよう(プライオリティw)

 

 

 

 

さて、先月から始めた自爪育成だが、前回から3週間後に、2回目の施術に行ってきた。

 

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深爪のせいで、かなりのショートネイルになったが、それでもジェルを乗せていると、爪に対する安心感が全然違う。それだけでも、ジェルネイルにしてよかったと思えるほど、爪が割れにくい。トップコートやネイルハードナーとは桁違いの安心感である。

何より、人前に出しても恥ずかしくないというのが、精神的な変化として感じられた。案外、爪先は人によく見られているので、そのコンプレックスをカバーできたことで、普段自分が感じているストレスのうち、1/4くらい減ったんじゃないかと思う。

そして、人に見られても良いと思うと、財布を持ったり、荷物を受け取るときの動作が、ゆっくりになった。爪を直すと、所作まで変わるんだなあと感心した。たったこれだけのことなのに、新垣結衣のような、しっとりとした佇まいに近づける気がする。

 

ただ、かなりのショートネイルなので、ジェルでしっかり爪先まで覆えないせいで、浮きが早い。平均的なジェルネイルの持ちは3〜4週間のようだが、私は2週間を過ぎたあたりで、中指の先端部分のジェルが浮き始めた。

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浮いた部分に水が溜まったままになると、グリーンネイルになるので、早めに修復したほうが良い。しかし、ネイル初心者の私は下手に触らないほうが良いと思い、3日ほどハラハラしながら次の施術日を待った。

 

サロン当日は、土砂降りのゲリラ豪雨で、駐車場で既にずぶ濡れになった。みすぼらしく濡れた私を、サロンのSさんは、相変わらずふんわりとした穏やかな笑顔で出迎えてくださり、爪を見て「結構伸びましたね」とおっしゃった。梅雨の季節は、秋冬にくらべて湿度が高いこともあり、爪が伸びるのが早いらしい。そのため、一般的にもお直しのサイクルが早くなるらしいが、その度にジェルネイルをはがし、繰り返し爪の表面を削ると、爪がどんどん傷つき、薄くなってしまうと言う。

トマトスキーさんの場合は、絶対に一層残しでジェルを替えたほうが良いと思います」とのことなので、薬液を使うことなく、ジェルの上の層を削ってはがし、一番下の層を残して、新たにジェルを乗せていく方法を提案してくださった。

 

「中指、結構浮いてるんですけど、それでもできるんですか」

「これくらいならできますよ。ちゃんと直せます」

 

そう言いながら、自爪がうっすらと見えるところまで、ジェルの上層部分を削っていくSさん。ジェルを削っただけなので、爪の表面は凸凹としていて、白く傷まみれだ。だが、この傷は、爪に残された一層目のジェル部分についたものなので、自爪にはほとんど傷はついていないらしい。うっすらと透けて見える自爪は、まだまだ白い部分が多く、ピンクの部分が少し伸びたような気がしないでもない・・・という程度だ。

 

「自爪育成をしたいなら、ジェルを乗せずにネイルベッドを伸ばしていく方法がいいと思います。ジェルはやはりメンテナンスが必要だし、最終的にジェルを剥がすときに、どうしても薄くなってしまうので」と、Sさんは言った。

その上で、トマトスキーさんのように、自爪が割れやすくて不安という方は、ジェルで補強しながら、きちんとネイルケアをして、丈夫な爪を育てていく方法も、もちろんアリです。今のトマトスキーさんには、その方法が合っているのかもしれませんね」とのことで、ピンク部分がもう少し伸びるまでは、今のやり方で爪を伸ばしていくことにした。

 

そして、今回の爪がこちら。

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めちゃくちゃ、綺麗じゃないか!?

何もしていなかったときの手はこれです、これ。本当に同一人物の手ですかっていうくらい、綺麗になってる!

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ジェルネイル以外にも、1回目の施術以降、洗い物の時や掃除の時は手袋をつけ、こまめにハンドクリームやネイルオイルでケアし、指をマッサージするようにしているのだが、その効果を覿面に感じられて、ものすごくモチベーションが上がった。

Sさんも、「ちゃんとケアされてるのが、よく分かりますよ!すごくきれいで、うっとりしちゃいますね!この調子で頑張りましょう!」と、ニコニコと褒めてくださった。褒められると、やっぱり嬉しいもので、「よし、もっと頑張ろう」という気持ちにさせてくれる。Sさん、本当にありがとう。

 

 

このブログを書いている現時点では、既に2回目の施術から2週間以上経っており、前回同様中指から浮き始めている気配がある。しかし、1回目と2回目を比べると、少しネイルの長さが伸びたため、その分持ちは良くなっているような気がする。

 

早く3回目の予約を取りたいのだが、子供たちが夏休みに突入しているため、少し日程を調整しづらく悩んでいる。Sさん曰く、「お子さん、夏休みだと思うので、連れてきていただいてもいいですよ」とのことだが、傍若無人で自由すぎる2歳と4歳が、見たこともない器具やストーンや小瓶がたくさん置いていある空間で、果たして興奮せずに大人しく待っていられるか、めちゃくちゃ自信がないので、足踏みしている状況だ。

 

どこかのタイミングで、夫の休みが合うことを願いながら、これ以上爪先を痛ませないよう、慎重に生活する日々である。

 

 

 

 

昨夜の夫婦喧嘩を綴ります

我が家は、比較的頻繁に夫婦喧嘩をする方だと思う。(仲良し夫婦をアピールしておきながら、なんてことだ)

 

 

例えば、この前の話。夕方、私は子供の食事を作り、夫の食事を作り、洗濯物を入れて・・・と忙しくしている。バタバタと忙しなく動く傍で、夫は子供とテレビを見ている。(夫は、子供と一緒にテレビを見ることも、子守りだと思っているらしい。)夕食後、夫は子供達をお風呂に入れる。皆がお風呂に入っている間に、私は食器を片付け、洗う。子供達をパジャマに着替えさせ、夫と2人で寝かしつけて、うっかり1時間ほど一緒に寝てしまってから起きて、私はお風呂に入る。お風呂から上がってきたら、部屋は散らかったままで、夫はお笑い番組を見ている。

こういう時、私は無表情になって、黙々と子供部屋を片付ける。「ガチャン!」とブロックが苛立ちと共に放り込まれる音で、ようやく夫は私の静かな怒りに気付き、大抵、「なんか怒ってる?」と聞いてくる。そして、「片付けてって言ってくれたら、片付けたのに」と言う。

 

 

例えば、昨夜の話。夫はお風呂上がりの私の下着を、いつもチェックする。ワコールのちょっと可愛いパンツか、オーバドゥのゴージャスなパンツか、ユニクロの綿パンツか、ちらっとパジャマから覗くのが、日課になっている。(この話だけで、また後日ブログが書けそうw)

私は、夫と一緒にいる時はできるだけ、可愛いパンツを履くことを心掛けている。しかし、可愛いパンツを履いていることをチェックした上で、ソファに座ってパソコンを開いて、「お、◯◯市の土地が安いけど、これは絶対山林やな」とか「◯◯市の土地で、150坪で3億やって。ありえへんなあ」とか、呟いている。これは、嫁としては、かなりがっかりだ。だって、夫は1週間の半分も家にいなくて、昨日もいなくて、明日からもいないのに、仕事の話ばかりされて、嫁としては本当にがっかりだ。

試しに少しちょっかいをかけても、全くパソコンをやめようとしないので、段々と腹が立ってきて、またもや無言で歯磨きをしにいくと、慌てて夫がパソコンを閉じた。そして、いつものように、「なんか怒ってる?」と聞いてきて、私の神経をより一層逆撫でする。さらに、「俺、明日もおらんのに」とかのたまうので、「知ってるわ」と返事して、私はさっさと寝室に向かう。

 

 

こういう時、きっと男性陣は、夫に同情するのだろう。「奥さん、そりゃきちんと言わんと、分かりませんわ」とか言うんだろう。「女は感情的で、きちんと説明しないからなあ」なんていう人もいるんだろう。

でも、あなたたち、職場ではちゃんと上司や同僚の気持ちを察して、仕事してるんでしょう?一から十まで言われないと仕事ができないなんてこと、ないでしょう?なんで、それを嫁にしてくれないのかと、心底疑問に思う。夫も、仕事ができるタイプの人間なので、全部説明されてないと動けない人ではないのだ。例えば、「有給余ってるなら、取ればいいやん」というと、「そんなん取れる雰囲気じゃないで。みんなも忙しいんやし」とか言う。え、ちゃんと察せてるやん。めっちゃ職場の空気読んでるやん。それなのに、なんで家では全然察しないの。

 

 

今まで、夫婦喧嘩をするたびに、男と女は脳が違うから仕方がない、と諦めてきた。男は察しない生き物なのだ、女は説明できない生き物なのだ、男女で脳の構造が違うのだ・・・。そうやって、男は理論的だとか、女は感情的だとか、脳の性差を理由に、無理矢理自分を納得させてきた。

 

しかし、最近になって、それは違うんじゃないかと思い始めてきた。夫婦喧嘩を、男女の違いだからと諦めるのはとてもラクだが、それでは同じことを何度も繰り返す事になる。その度に、不毛な言い争いをして、お互いにイライラして傷付いて、今日みたいに夜中の3時に起きて、気持ちを落ち着けるために、ひとりキッチンでポテトサラダを作り、それでもやりようのない怒りや悲しみをパソコンを開いて文字にするなんて、そんなこと毎回やってられない。

 

 

 

私は決めた。今度から、「察してください」と言おうと思う。「察してください」と言えば、きっと夫はいちいち説明しなくても察するだろう。夫が察せなかったとき、私は説明すれば良いのだ。それに、きっと「察してください」と一呼吸置けば、きっとお互いの置かれている奇妙な状況に、プッと吹き出すに違いない。脳の性差などに囚われてはいけない。夫は察することができる男で、私は説明できる女なのだから。

そうやって、結婚6年目にして、たくましく夫婦喧嘩を乗り越えていけるようになった自分を、少し誇らしく思う。

 

 

さて、5時になったので、寝ます。

 

 

 

 

夫と過ごす依存外出の時間

私は、小さな頃から荷物が多いタイプだった。

 

例えば、ペンケース。大きめペンケースの中に、予備の消しゴムやシャーペン、いろんな色のペン、ハサミ、スティックのり、クリップ、メモ帳、付箋、リップクリーム、小さな鏡、絆創膏・・・。「あれがない!」「これがない!」なんてことがないように、隙間なくきっちり詰められたペンケースは、私のお守りみたいなものだった。

それから、学生カバン。大きめのマチ付きのカバンに、財布や携帯電話、携帯式の充電器、トラベル用の歯ブラシセット、生理用品、タオル、ティッシュ、折り畳み傘、電子辞書、ドラッグストアでもらった試供品の化粧水や乳液、予備のコンタクトレンズ、メガネケース、文庫本、ペットボトルのお茶・・・。いつでもこのカバンでどこにでも行けますというふうに、毎日パンパンに入れていた。

 

「人に借りなくても、自分でなんでも持っている」というのが、安心だったんだろうと思う。もし誰かに「あれ持ってる?」と言われて、さっと出せないなんてこと、絶対にあってはならないと思っていた。「私はなんでもできる」「一人で、なんでもできる」・・・。そんなふうに暗示をかけながら、毎日重たい荷物を持っていた。幸い私は背が高いので、大きな荷物を持っていても、荷物を引きずることなく颯爽と持てた。

 

だが、夫と出会って、それがガラリと変わった。夫が私以上に、荷物が多かったためだ。一緒に旅行に行くと、スーツケース1個分まるまる、夫の荷物で占領される。現地で調べ物をするためのPC、文庫本3冊、電子書籍、化粧水、シャンプー、上着、革靴・・・。「荷物、多すぎひん?」と呟いたら、「え?向こうでなかったら困るやん」と、夫は何でもかんでも詰めていた。予備の予備まで入れるという、念の入れようだった。私の積めるスペースがほとんどなかったので、必然的に私の荷物はかなり少なくなってしまった。「あれ?トマちゃんの荷物、それだけ?」と言われた時は、「ちゃうやん、あなたの荷物が多いからでしょうが」と言いたい気持ちをグッと堪えて、「うん、これだけでいい」と答えた。

 

しかし、その結果、荷物が少ない方が、とても気楽であることに気がついた。大抵の物は、なくてもどうにでもなった。「化粧水、忘れちゃったなあ」と思っても、ハンドクリームがあれば3泊程度の旅行ならなんとかなったし、現地でランドリーを使えばいいので、洗濯洗剤の小袋を1つだけ持っていくと、着替えが少なく済むこともわかった。黒のワンピースが1枚あれば、カジュアルなタウンからフォーマルなレストランまで、大抵どこでも通用する。大判ストールが1枚あれば、日除けにも膝掛けにも、ラグジュアリーなバーにも羽織っていけた。大抵、「あ、あれがない」というと、夫の方が「持ってるよ」と言って貸してくれることもわかった。それに、どうしてもなくて困ったら、現地のコンビニでなんでも手に入った。

 

いつの間にか、私の荷物はめちゃくちゃ少なくなった。一人でなんでも持たなくて良い、ということに気がついたおかげだ。私のカバンは、かなり小さくなった。お財布、スマホ、ハンカチ、ティッシュ、それからリップクリームとパウダーを入れた小さなポーチ。時々、子供たちのご機嫌を取るためのキャンディーが加わることもあるが、大抵これだけの荷物があれば、どこにだって行ける。喉が乾いたら、コンビニに行けばいいし、喫茶店に入ってもいい。夫といれば、本がなくても別に退屈だって構わない。

 

「一人でなんでもできなくていい」ということは、とても心地がいい。それは、「誰かに甘えてもいい」ということと、同じだからだと思う。夫が傍にいれば、「何もできない私でも構わない」と自分を許すことができる。そういう自分を受け入れてくれる存在は、本当に大切だ。寄りかかっても倒れずにいてくれて、水まで与えてくれて、甘やかしてくれる。私にとって、夫はそういう男性だ。

 

子供が生まれてから、一番戸惑ったのは、自分が母親になってしまったことだ。

子供の前では「あれしなさい」「これはしちゃだめ」と、まるでなんでもできる大人みたいな顔をして、子供たちに指図してしまう。元来、何もできないはずなのに、そうやって親ぶってしまうせいで、いつの間にか「なんでもできる母親にならないと」と、再び暗示をかけてしまっているのだ。

そういう暗示がかかった状態で、夫の前に立つと、うまく甘えられない。その居心地の悪さを感じた時、母親になってしまったことを疎ましく思ってしまう。妻の顔と母親の顔をうまく使い分けられないことに、ものすごくストレスを感じている。

そこに義両親や両親が加わると、もっと混乱する。嫁や娘の顔までしないといけなくなるので、もう訳がわからなくなる。「ええっと、良識のある母親の顔と、聞き分けの良い嫁の顔と、きちんとした娘の顔と、夫に甘えたい妻の顔と・・・」。

世の中の女性は、一体幾つの仮面を使いこなしているのだろう。私には、絶対に無理。できればずっと、夫に時々依存している、甘ったれた妻でいたい。

 

 

今では子供たちも少し手が離れて、夫と2人で過ごす時間が前より増えた。子供達を幼稚園位送ってから、少しだけモーニングに行ったり、夫の昼休憩に待ち合わせをしてランチに行ったりしている。

結婚する前はどうやって一緒にいたんだっけ?新婚の時は、どんな話をしてたんだっけ?まるでリハビリのように、夫との依存外出を繰り返して、また少しずつ夫に甘えられるようになってきた。

子供と一緒だと、見間違えないように必死で着いていくGoogleMapも、「よそ見してたらぶつかるよ」「こぼしちゃだめよ」と人差し指を立てて注意する癖も、全部OFF。道に迷ってもいい、電柱にぶつかってもいい、ちょっとくらいソースが溢れたっていい、今日は母親じゃないんだから。大好きな人の前でくらい、きちんとしてなくたっていいんだから。

 

 

なんでもできる母親をやめよう。なんでもできる妻をやめよう。なんでもできる女をやめよう。何にもできない私に戻って、夫にあれこれ頼る時間を作ろう。子供の前でも、しっかりしなくていいじゃない。できないことがあってもいいじゃない。仮面なんて被らなくても、誰の前でも、なりたい自分でいればいいじゃない。そうやって、自分に甘く、他人にも甘く生きているようになりたいと思う、今日この頃である。