夫とゲームをするのが嫌になった

表題の通り、夫とゲームをするのが嫌になって、とうとう喧嘩をしてしまった。 

 

 

これまでの、夫とゲームをしてみた話はこちら↓

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「ゲームしよう」と声をかけた時から、なんだか夫は気乗りしない感じで、「えー、うん。まあ俺はせえへんけど、したかったらいいよ」と、「ドッチヤネン」と突っ込みたくなるような優柔不断な返答をしてきた。

その時点で、内心モヤッとしたのだが、あまり気にしないようにして、「じゃあ今日はコントローラーは1つにするね」と、さっさと準備をした。兼ねてからずっと試してみたかったRPGをするチャンスだと思ったので、「FFしよ、FF」とソフトを選んでいる傍から、「ふーん、好きなやつしたらええやん」とチラチラ画面を見ながら言うだけの夫に、「なんだかなあ・・・」と、全然縮まらないお互いの温度差が、無性に腹立たしかったし、寂しい気持ちになった。

 

結局FFを始めても、私には分からないことばかりで、最初から躓く羽目になった。私は昔、FFⅩ-2あたりをやったことはあるのだが、その時の記憶を朧げに思い出そうとしても、ゲームの進め方が全く分からなかった。呪文の意味やバトルシステムが全くわからず、何度も夫に「これはこうでいいの?」「なんでこれは変えれないの?」と聞いた。

聞かれた夫は面倒くさそうに「俺もそんなん知らんし」「さっき説明あったやん、なんで聞いてないの?」と、半ギレで答え、最終的には「ちゃんと説明されたんやから、理解してから進めたらいいやろ!?ほら、また死んだし。もうあかんやろな、全滅やわ」と、投げやりに言い捨てられたので、私もついに、「もうやめる。全然面白くない」とゲームの電源を切った。

 

むすっとしたままお風呂に入り、リビングで寝転がっている夫を放って、さっさと寝室に行った。その後、のそのそと寝室に来た夫が、「なんでそんなに怒ってるん」と言うので、「私は、夫婦で楽しくゲームしたいなと思って、やろうって言ったのに、今日は全然楽しくなかった。怒ってるんじゃなくて、悲しい気持ちになった。もうゲームしない」と返事だけして、そのまま寝た。

朝になって朝食を作っていると、夫が「昨日はごめん」と言って起きてきた。

 

 

 

夫婦になると、気持ちのすれ違いが起こりやすくなる。その原因は、惰性だと思う。自分の気持ちを伝える努力をしなくなるのだ。

きっとその夜、夫はそんなにゲームをしたくなかったのだろうし、ゲーム自体にもう飽きているのかもしれないし、他に見たいテレビがあったのかもしれない。もう寝たいと思っていたのかもしれない。だったら、そう言ってくれたらいいのだ。なのに、「やりたいならやれば」と、中途半端に生ぬるい優しさで、私を喜ばせようとするから、こうやってすれ違いが起こるのだ。

「今日はゲームしたくないなあ。代わりに、ゆっくり話がしたい」と言ってくれれば、私は喜んでゲームを放り投げて、夫と話をする。「今日は疲れてるから、もう寝たい」と言ってくれれば、「今日は私一人でゲームするから、寝てきていいよ」と、夫の疲れに多少気遣いができたかもしれない。それを、「したいならすれば?」と相手に行動を委ねたくせに、自分の意にそぐわないと勝手に怒り出すのは、少し勝手すぎやしないだろうか。適当にその場をやり過ごそうとするから、こうやってお互いに心がささくれだっていくのである。

 

もちろん、私ももっと踏み込んで、夫に聞くべきだったのだと思う。「私は一緒にしたいんだけど、もし今日はゲームしたくないならやめとこうか」と、もし付き合いたての彼女だった頃の私なら、そう聞いただろう。それをしなくなったのは、私の妻としての惰性であり、夫婦にありがちな、生ぬるい環境への慣れなのだと思う。

 

 

似たようなことが、つい先日もあった。

少し予定が立て込んでいた日、夫婦揃って昼食を食べ損ねてしまった。私は買い物ついでにお惣菜を買って、夫の運転する車に乗り込み、「お惣菜買ってきたから、家で食べよう」と声をかけると、「家で食べてる時間なんてないよ」と少しムスッとした顔で夫が答えた。「お腹空いてるやろ?」と聞くと、「食べたいんやったら、トマちゃんの好きなようにしたら?」と言われてしまい、心の中で「なんか違う!」と思った。

私は、夫もお腹が空いてるだろうから一緒に食べようと思って買ったのだ。「これなら食べるかな」とか「これは苦手だろうな」とか、夫の顔を思い浮かべながら選んだのだ。それなのに、「トマちゃんが好きなようにしたらいい」と言われてしまうと、まるで私の気持ちなんて無かったみたいになるじゃないか。それなら、トマトが入っていようが、きゅうりが入っていようが、自分が食べたい物を選んだのに。(夫はきゅうりもトマトも食べられない)

まるで、糸の切れた凧みたいな気持ちになる。自由に飛んでいいよと糸を切られて、結局風に飛ばされて、何かにひっかかってしまったみたいな、そんな気持ち。大事にされているようで、ただほったらかしにされている、そんな気持ち。

 

でも、きっとこれも、夫だけが悪いのではない。私がきちんと言葉で伝えていないせいなのだ。一緒に食べたいと思って選んだことを、面倒くさがって、言葉にしていない自分の責任。きっと、「一緒に食べたくて買ったんだけど」と一言付け足すだけで、夫は普段通り優しく「じゃあ車の中で食べよう」と言ってくれたに違いない。

 

 

夫婦になっても、私たちは男と女なので、全然脳の構造が違うまま、これからも生きていく。察してほしい女とは違い、男は元来察さない動物なので、どうしてもこの違いは埋められない。だから、どうしても言葉の力が必要になってくる。夫婦だから、まるでテレパシーのように、お互いの気持ちが分かるようになるなんて、そんなことはない。お互いの生態は理解できるのかもしれないが、複雑かつ単純な感情など、夫婦でも親子でも完全に分かり合えることなどない。私と夫の間には、些細な言葉こそ必要だ。

「人を変えるよりも、自分が変わる方が簡単だ」と昔誰かに言われたのを思い出す。確かにその通りで、夫に何かを察してもらうのを待つより、自分から言ったほうが良いに決まっている。

 

夫婦は難しい。でも、それはお互いに気持ちを言わないから難しいのであって、いつでも言い合える環境にいることを忘れてはいけない。言葉の力を、もう一度信じてみようと思う。

だから、私はまた、きっと、夫に「ゲームしよう」と言う。