ガッキーを目指すアラフォーおかんのブログ@3人目妊娠中

夫が好きすぎるアラフォー主婦。現在3人目妊娠中です。

昨夜の夫婦喧嘩を綴ります

我が家は、比較的頻繁に夫婦喧嘩をする方だと思う。(仲良し夫婦をアピールしておきながら、なんてことだ)

 

 

例えば、この前の話。夕方、私は子供の食事を作り、夫の食事を作り、洗濯物を入れて・・・と忙しくしている。バタバタと忙しなく動く傍で、夫は子供とテレビを見ている。(夫は、子供と一緒にテレビを見ることも、子守りだと思っているらしい。)夕食後、夫は子供達をお風呂に入れる。皆がお風呂に入っている間に、私は食器を片付け、洗う。子供達をパジャマに着替えさせ、夫と2人で寝かしつけて、うっかり1時間ほど一緒に寝てしまってから起きて、私はお風呂に入る。お風呂から上がってきたら、部屋は散らかったままで、夫はお笑い番組を見ている。

こういう時、私は無表情になって、黙々と子供部屋を片付ける。「ガチャン!」とブロックが苛立ちと共に放り込まれる音で、ようやく夫は私の静かな怒りに気付き、大抵、「なんか怒ってる?」と聞いてくる。そして、「片付けてって言ってくれたら、片付けたのに」と言う。

 

 

例えば、昨夜の話。夫はお風呂上がりの私の下着を、いつもチェックする。ワコールのちょっと可愛いパンツか、オーバドゥのゴージャスなパンツか、ユニクロの綿パンツか、ちらっとパジャマから覗くのが、日課になっている。(この話だけで、また後日ブログが書けそうw)

私は、夫と一緒にいる時はできるだけ、可愛いパンツを履くことを心掛けている。しかし、可愛いパンツを履いていることをチェックした上で、ソファに座ってパソコンを開いて、「お、◯◯市の土地が安いけど、これは絶対山林やな」とか「◯◯市の土地で、150坪で3億やって。ありえへんなあ」とか、呟いている。これは、嫁としては、かなりがっかりだ。だって、夫は1週間の半分も家にいなくて、昨日もいなくて、明日からもいないのに、仕事の話ばかりされて、嫁としては本当にがっかりだ。

試しに少しちょっかいをかけても、全くパソコンをやめようとしないので、段々と腹が立ってきて、またもや無言で歯磨きをしにいくと、慌てて夫がパソコンを閉じた。そして、いつものように、「なんか怒ってる?」と聞いてきて、私の神経をより一層逆撫でする。さらに、「俺、明日もおらんのに」とかのたまうので、「知ってるわ」と返事して、私はさっさと寝室に向かう。

 

 

こういう時、きっと男性陣は、夫に同情するのだろう。「奥さん、そりゃきちんと言わんと、分かりませんわ」とか言うんだろう。「女は感情的で、きちんと説明しないからなあ」なんていう人もいるんだろう。

でも、あなたたち、職場ではちゃんと上司や同僚の気持ちを察して、仕事してるんでしょう?一から十まで言われないと仕事ができないなんてこと、ないでしょう?なんで、それを嫁にしてくれないのかと、心底疑問に思う。夫も、仕事ができるタイプの人間なので、全部説明されてないと動けない人ではないのだ。例えば、「有給余ってるなら、取ればいいやん」というと、「そんなん取れる雰囲気じゃないで。みんなも忙しいんやし」とか言う。え、ちゃんと察せてるやん。めっちゃ職場の空気読んでるやん。それなのに、なんで家では全然察しないの。

 

 

今まで、夫婦喧嘩をするたびに、男と女は脳が違うから仕方がない、と諦めてきた。男は察しない生き物なのだ、女は説明できない生き物なのだ、男女で脳の構造が違うのだ・・・。そうやって、男は理論的だとか、女は感情的だとか、脳の性差を理由に、無理矢理自分を納得させてきた。

 

しかし、最近になって、それは違うんじゃないかと思い始めてきた。夫婦喧嘩を、男女の違いだからと諦めるのはとてもラクだが、それでは同じことを何度も繰り返す事になる。その度に、不毛な言い争いをして、お互いにイライラして傷付いて、今日みたいに夜中の3時に起きて、気持ちを落ち着けるために、ひとりキッチンでポテトサラダを作り、それでもやりようのない怒りや悲しみをパソコンを開いて文字にするなんて、そんなこと毎回やってられない。

 

 

 

私は決めた。今度から、「察してください」と言おうと思う。「察してください」と言えば、きっと夫はいちいち説明しなくても察するだろう。夫が察せなかったとき、私は説明すれば良いのだ。それに、きっと「察してください」と一呼吸置けば、きっとお互いの置かれている奇妙な状況に、プッと吹き出すに違いない。脳の性差などに囚われてはいけない。夫は察することができる男で、私は説明できる女なのだから。

そうやって、結婚6年目にして、たくましく夫婦喧嘩を乗り越えていけるようになった自分を、少し誇らしく思う。

 

 

さて、5時になったので、寝ます。

 

 

 

 

夫と過ごす依存外出の時間

私は、小さな頃から荷物が多いタイプだった。

 

例えば、ペンケース。大きめペンケースの中に、予備の消しゴムやシャーペン、いろんな色のペン、ハサミ、スティックのり、クリップ、メモ帳、付箋、リップクリーム、小さな鏡、絆創膏・・・。「あれがない!」「これがない!」なんてことがないように、隙間なくきっちり詰められたペンケースは、私のお守りみたいなものだった。

それから、学生カバン。大きめのマチ付きのカバンに、財布や携帯電話、携帯式の充電器、トラベル用の歯ブラシセット、生理用品、タオル、ティッシュ、折り畳み傘、電子辞書、ドラッグストアでもらった試供品の化粧水や乳液、予備のコンタクトレンズ、メガネケース、文庫本、ペットボトルのお茶・・・。いつでもこのカバンでどこにでも行けますというふうに、毎日パンパンに入れていた。

 

「人に借りなくても、自分でなんでも持っている」というのが、安心だったんだろうと思う。もし誰かに「あれ持ってる?」と言われて、さっと出せないなんてこと、絶対にあってはならないと思っていた。「私はなんでもできる」「一人で、なんでもできる」・・・。そんなふうに暗示をかけながら、毎日重たい荷物を持っていた。幸い私は背が高いので、大きな荷物を持っていても、荷物を引きずることなく颯爽と持てた。

 

だが、夫と出会って、それがガラリと変わった。夫が私以上に、荷物が多かったためだ。一緒に旅行に行くと、スーツケース1個分まるまる、夫の荷物で占領される。現地で調べ物をするためのPC、文庫本3冊、電子書籍、化粧水、シャンプー、上着、革靴・・・。「荷物、多すぎひん?」と呟いたら、「え?向こうでなかったら困るやん」と、夫は何でもかんでも詰めていた。予備の予備まで入れるという、念の入れようだった。私の積めるスペースがほとんどなかったので、必然的に私の荷物はかなり少なくなってしまった。「あれ?トマちゃんの荷物、それだけ?」と言われた時は、「ちゃうやん、あなたの荷物が多いからでしょうが」と言いたい気持ちをグッと堪えて、「うん、これだけでいい」と答えた。

 

しかし、その結果、荷物が少ない方が、とても気楽であることに気がついた。大抵の物は、なくてもどうにでもなった。「化粧水、忘れちゃったなあ」と思っても、ハンドクリームがあれば3泊程度の旅行ならなんとかなったし、現地でランドリーを使えばいいので、洗濯洗剤の小袋を1つだけ持っていくと、着替えが少なく済むこともわかった。黒のワンピースが1枚あれば、カジュアルなタウンからフォーマルなレストランまで、大抵どこでも通用する。大判ストールが1枚あれば、日除けにも膝掛けにも、ラグジュアリーなバーにも羽織っていけた。大抵、「あ、あれがない」というと、夫の方が「持ってるよ」と言って貸してくれることもわかった。それに、どうしてもなくて困ったら、現地のコンビニでなんでも手に入った。

 

いつの間にか、私の荷物はめちゃくちゃ少なくなった。一人でなんでも持たなくて良い、ということに気がついたおかげだ。私のカバンは、かなり小さくなった。お財布、スマホ、ハンカチ、ティッシュ、それからリップクリームとパウダーを入れた小さなポーチ。時々、子供たちのご機嫌を取るためのキャンディーが加わることもあるが、大抵これだけの荷物があれば、どこにだって行ける。喉が乾いたら、コンビニに行けばいいし、喫茶店に入ってもいい。夫といれば、本がなくても別に退屈だって構わない。

 

「一人でなんでもできなくていい」ということは、とても心地がいい。それは、「誰かに甘えてもいい」ということと、同じだからだと思う。夫が傍にいれば、「何もできない私でも構わない」と自分を許すことができる。そういう自分を受け入れてくれる存在は、本当に大切だ。寄りかかっても倒れずにいてくれて、水まで与えてくれて、甘やかしてくれる。私にとって、夫はそういう男性だ。

 

子供が生まれてから、一番戸惑ったのは、自分が母親になってしまったことだ。

子供の前では「あれしなさい」「これはしちゃだめ」と、まるでなんでもできる大人みたいな顔をして、子供たちに指図してしまう。元来、何もできないはずなのに、そうやって親ぶってしまうせいで、いつの間にか「なんでもできる母親にならないと」と、再び暗示をかけてしまっているのだ。

そういう暗示がかかった状態で、夫の前に立つと、うまく甘えられない。その居心地の悪さを感じた時、母親になってしまったことを疎ましく思ってしまう。妻の顔と母親の顔をうまく使い分けられないことに、ものすごくストレスを感じている。

そこに義両親や両親が加わると、もっと混乱する。嫁や娘の顔までしないといけなくなるので、もう訳がわからなくなる。「ええっと、良識のある母親の顔と、聞き分けの良い嫁の顔と、きちんとした娘の顔と、夫に甘えたい妻の顔と・・・」。

世の中の女性は、一体幾つの仮面を使いこなしているのだろう。私には、絶対に無理。できればずっと、夫に時々依存している、甘ったれた妻でいたい。

 

 

今では子供たちも少し手が離れて、夫と2人で過ごす時間が前より増えた。子供達を幼稚園位送ってから、少しだけモーニングに行ったり、夫の昼休憩に待ち合わせをしてランチに行ったりしている。

結婚する前はどうやって一緒にいたんだっけ?新婚の時は、どんな話をしてたんだっけ?まるでリハビリのように、夫との依存外出を繰り返して、また少しずつ夫に甘えられるようになってきた。

子供と一緒だと、見間違えないように必死で着いていくGoogleMapも、「よそ見してたらぶつかるよ」「こぼしちゃだめよ」と人差し指を立てて注意する癖も、全部OFF。道に迷ってもいい、電柱にぶつかってもいい、ちょっとくらいソースが溢れたっていい、今日は母親じゃないんだから。大好きな人の前でくらい、きちんとしてなくたっていいんだから。

 

 

なんでもできる母親をやめよう。なんでもできる妻をやめよう。なんでもできる女をやめよう。何にもできない私に戻って、夫にあれこれ頼る時間を作ろう。子供の前でも、しっかりしなくていいじゃない。できないことがあってもいいじゃない。仮面なんて被らなくても、誰の前でも、なりたい自分でいればいいじゃない。そうやって、自分に甘く、他人にも甘く生きているようになりたいと思う、今日この頃である。

 

 

まずは手を変えてみよう(地爪育成編)

ガッキーを目指すと言っている以上、自分のコンプレックスを一つずつ克服していかないと、タイトル詐欺になってしまうので、今回自分のコンプレックスと向き合ってみた話をしようと思う。

 

誰にでも、コンプレックスはある。コンプレックスを書き出すと、キリがない。新垣結衣みたいになりたい。美人になりたい。可愛くなりたい。漠然とああなりたい、こうなりたい、と思うことはあっても、いざ自分のコンプレックスを書き出して、どうすれば理想の自分になれるかを考えると、あまりに長い道のりに心が折れそうになる。

 

コンプレックスには2種類ある。自分の努力でどうにかなることと、自分の力だけではどうにもならないことだ。私と新垣結衣の共通点など、生物学的に女性であることと、高身長であるくらいだ。新垣結衣になろうと思ったら、もっと顔を小さくして、目を涼やかな二重にして、鼻筋を通して、かなり痩せないといけない。しかし、逆に言えば、背を高くしたり低くしたり、性転換をしたりなど、大掛かりなことをしなくても良いということなので、日々の努力でなんとかなりそうな気がしないこともない。そうやってポジティブに自分のコンプレックスと向き合わないと、ガッキーを目指すなんて大それたこと、なかなか言えるもんじゃない。

 

さて、私の長年のコンプレックスの一つに、指先の醜さがあった。母親譲りの薄爪で、すぐに割れてしまうので、いつも深爪になってしまい、あまり人に見られたくないと思っていた。

頑張って伸ばして、透明のマニキュアで補強してみたり、オイルを塗ったりしてもすぐに割れて、どんどん2枚爪になっていくので、ほとんど意味がなかった。

「深爪を治すなんて、なかなかできないよなあ」と思っていた。35年間ずっと薄爪で深爪なので、ほとんど諦めていた。

 

↓見せるのも恥ずかしいが、私の自爪である。

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赤ちゃん並の爪の薄さで、少しの衝撃ですぐに割れてしまう。伸ばしても伸ばしても、白い部分しか伸びず、扇子のような形に段々爪が広がってしまうので不恰好だ。

指先というものは、人によく見られているところだ。レジでお金を渡すとき、友達に手土産を渡すとき、宅配便を受け取る時、等々。爪がきれいに手入れされているというだけで、女性らしさが増す気がするし、清潔感を感じられると思う。私は自分の爪が恥ずかしくて、レジでもさっと隠してしまうし、こまめにネイルをしているママ友達と見比べると、居た堪れない気持ちになる。

 

新垣結衣は、派手なネイルをしている印象はないが、それでもお洒落なカラーマニキュアを塗っていたり、清潔感のある素爪で女性らしい。顔を新垣結衣にするのは難易度高めだが、まずは手だけでも新垣結衣に近づけないものだろうか・・・。

 

長年コンプレックスだった爪を、この機会になんとかしたい!

堂々と人に見せれる指先になりたい!!

 

そう思い立って、「深爪矯正」で近所のネイルサロンを検索したところ、「地爪育成をしている」というサロンを見つけた。完全個室で、ネイリスト歴が20年近く、ネイルケアに力を入れているSさんの自宅サロンである。何よりも、おっとりとした笑顔のプロフィール写真に惹かれた。藁をも掴む思いで連絡をし、どうにかこうにか予約が取れた。

 

サロンに着くと、Sさんはイメージ通りのふんわりおっとりとした笑顔でお出迎えくださり、特に緊張することもなく、施術が始まった。

 

トマトスキーさん、すごく爪が乾燥していますね。かなり割れやすいでしょう。」

「人って、結構爪先を使って、色々作業しちゃってるんですよ。まずは意識から変えていきましょう」

「爪って変わらないと思ってるでしょう?でも、ちゃんと変わるんですよ。だから、安心してください」

 

ニコニコと笑いながら、爪を磨いてくださるSさん。正直、「こんな手入れもしてない爪で、サロンにくるなバカヤロー!」と怒られても仕方ないくらいに思っていたのだが、もちろん全くそんな素振りは見せず、終始細やかに爪の手入れについて教えてくださった。

 

↓そして、Sさんによって磨かれた爪が、こちら。

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えっ!別人の手じゃないですか!!!!?

なにこのツヤツヤトュルンな指先!!!すっっっっっごくきれいになってる!!!爪がうるうるしてるぅぅぅぅ!!!!

 

「こ、こんなに変わるもんなんですね・・・」

「そうですよ(ニッコリ)ちゃんと手入れすれば、爪は変わります。トマトスキーさんは、ピンク部分を伸ばしたいということなので、ジェルをつけながら伸ばしていきましょう。少し意識をするだけで本当に変わりますから、楽しみにしていてくださいね」

 

Sさんのすごいところは、爪をきれいにしてくれるだけでなく、爪に対する意識まで変えるところである。これまで寝る前にハンドクリームを塗る程度だった私が、今ではゴム手袋をつけて洗い物をし、こまめにハンドクリームを塗り、空き時間はネイルオイルで爪先のマッサージをするほどにまで成長した。それほどまでに、Sさんの言葉は自信に満ちていて、「35年間深爪で悩んでいた私でも、きれいな爪になれる」という気持ちにさせてくれた。

 

Sさん自身の指先もすごくきれいで、「最近はジェルはせず、ずっと地爪で過ごしています」というだけあり、ネイルをしなくても女性らしく、爪の先までしっかりと手入れがされていて美しかった。白くてしっとりしていて、長すぎず短すぎず切り揃えられたピンク色の爪。「きっと新垣結衣の手ってこんな感じなんだろうなあ」と、思わず撫で回したい・・・(変態)と思ったほどである。そんなSさんも普段は家事と育児をこなす3児の母親で、それでもこの手をキープされているというのだから、今後もSさんから色々と教えていただきたいところである。

 

かくいう私は、爪をピカピカにした日の夕方に、ジャガイモの皮を剥くときに爪をピーラーで引っ掛けて、わずかに削ってしまうという失態を犯してしまった。ちょっとしたことでも、爪を傷つけてしまうことが結構たくさんあるんだなあと、毎日ヒヤヒヤしながら料理をしている。

 

また1ヶ月後、爪の手入れをしに伺う予定なので、普段どんなことに気をつけて生活しているのか、料理はどんな道具を使っているのか、掃除はどうやってしているのか・・・など、自分の日常生活に落とし込んでいけるヒントを、Sさんに色々と聞けたらと思っている。