ガッキーを目指すアラフォーおかんのブログ@3人目妊娠中

夫が好きすぎるアラフォー主婦。現在3人目妊娠中です。

夫と過ごす依存外出の時間

私は、小さな頃から荷物が多いタイプだった。

 

例えば、ペンケース。大きめペンケースの中に、予備の消しゴムやシャーペン、いろんな色のペン、ハサミ、スティックのり、クリップ、メモ帳、付箋、リップクリーム、小さな鏡、絆創膏・・・。「あれがない!」「これがない!」なんてことがないように、隙間なくきっちり詰められたペンケースは、私のお守りみたいなものだった。

それから、学生カバン。大きめのマチ付きのカバンに、財布や携帯電話、携帯式の充電器、トラベル用の歯ブラシセット、生理用品、タオル、ティッシュ、折り畳み傘、電子辞書、ドラッグストアでもらった試供品の化粧水や乳液、予備のコンタクトレンズ、メガネケース、文庫本、ペットボトルのお茶・・・。いつでもこのカバンでどこにでも行けますというふうに、毎日パンパンに入れていた。

 

「人に借りなくても、自分でなんでも持っている」というのが、安心だったんだろうと思う。もし誰かに「あれ持ってる?」と言われて、さっと出せないなんてこと、絶対にあってはならないと思っていた。「私はなんでもできる」「一人で、なんでもできる」・・・。そんなふうに暗示をかけながら、毎日重たい荷物を持っていた。幸い私は背が高いので、大きな荷物を持っていても、荷物を引きずることなく颯爽と持てた。

 

だが、夫と出会って、それがガラリと変わった。夫が私以上に、荷物が多かったためだ。一緒に旅行に行くと、スーツケース1個分まるまる、夫の荷物で占領される。現地で調べ物をするためのPC、文庫本3冊、電子書籍、化粧水、シャンプー、上着、革靴・・・。「荷物、多すぎひん?」と呟いたら、「え?向こうでなかったら困るやん」と、夫は何でもかんでも詰めていた。予備の予備まで入れるという、念の入れようだった。私の積めるスペースがほとんどなかったので、必然的に私の荷物はかなり少なくなってしまった。「あれ?トマちゃんの荷物、それだけ?」と言われた時は、「ちゃうやん、あなたの荷物が多いからでしょうが」と言いたい気持ちをグッと堪えて、「うん、これだけでいい」と答えた。

 

しかし、その結果、荷物が少ない方が、とても気楽であることに気がついた。大抵の物は、なくてもどうにでもなった。「化粧水、忘れちゃったなあ」と思っても、ハンドクリームがあれば3泊程度の旅行ならなんとかなったし、現地でランドリーを使えばいいので、洗濯洗剤の小袋を1つだけ持っていくと、着替えが少なく済むこともわかった。黒のワンピースが1枚あれば、カジュアルなタウンからフォーマルなレストランまで、大抵どこでも通用する。大判ストールが1枚あれば、日除けにも膝掛けにも、ラグジュアリーなバーにも羽織っていけた。大抵、「あ、あれがない」というと、夫の方が「持ってるよ」と言って貸してくれることもわかった。それに、どうしてもなくて困ったら、現地のコンビニでなんでも手に入った。

 

いつの間にか、私の荷物はめちゃくちゃ少なくなった。一人でなんでも持たなくて良い、ということに気がついたおかげだ。私のカバンは、かなり小さくなった。お財布、スマホ、ハンカチ、ティッシュ、それからリップクリームとパウダーを入れた小さなポーチ。時々、子供たちのご機嫌を取るためのキャンディーが加わることもあるが、大抵これだけの荷物があれば、どこにだって行ける。喉が乾いたら、コンビニに行けばいいし、喫茶店に入ってもいい。夫といれば、本がなくても別に退屈だって構わない。

 

「一人でなんでもできなくていい」ということは、とても心地がいい。それは、「誰かに甘えてもいい」ということと、同じだからだと思う。夫が傍にいれば、「何もできない私でも構わない」と自分を許すことができる。そういう自分を受け入れてくれる存在は、本当に大切だ。寄りかかっても倒れずにいてくれて、水まで与えてくれて、甘やかしてくれる。私にとって、夫はそういう男性だ。

 

子供が生まれてから、一番戸惑ったのは、自分が母親になってしまったことだ。

子供の前では「あれしなさい」「これはしちゃだめ」と、まるでなんでもできる大人みたいな顔をして、子供たちに指図してしまう。元来、何もできないはずなのに、そうやって親ぶってしまうせいで、いつの間にか「なんでもできる母親にならないと」と、再び暗示をかけてしまっているのだ。

そういう暗示がかかった状態で、夫の前に立つと、うまく甘えられない。その居心地の悪さを感じた時、母親になってしまったことを疎ましく思ってしまう。妻の顔と母親の顔をうまく使い分けられないことに、ものすごくストレスを感じている。

そこに義両親や両親が加わると、もっと混乱する。嫁や娘の顔までしないといけなくなるので、もう訳がわからなくなる。「ええっと、良識のある母親の顔と、聞き分けの良い嫁の顔と、きちんとした娘の顔と、夫に甘えたい妻の顔と・・・」。

世の中の女性は、一体幾つの仮面を使いこなしているのだろう。私には、絶対に無理。できればずっと、夫に時々依存している、甘ったれた妻でいたい。

 

 

今では子供たちも少し手が離れて、夫と2人で過ごす時間が前より増えた。子供達を幼稚園位送ってから、少しだけモーニングに行ったり、夫の昼休憩に待ち合わせをしてランチに行ったりしている。

結婚する前はどうやって一緒にいたんだっけ?新婚の時は、どんな話をしてたんだっけ?まるでリハビリのように、夫との依存外出を繰り返して、また少しずつ夫に甘えられるようになってきた。

子供と一緒だと、見間違えないように必死で着いていくGoogleMapも、「よそ見してたらぶつかるよ」「こぼしちゃだめよ」と人差し指を立てて注意する癖も、全部OFF。道に迷ってもいい、電柱にぶつかってもいい、ちょっとくらいソースが溢れたっていい、今日は母親じゃないんだから。大好きな人の前でくらい、きちんとしてなくたっていいんだから。

 

 

なんでもできる母親をやめよう。なんでもできる妻をやめよう。なんでもできる女をやめよう。何にもできない私に戻って、夫にあれこれ頼る時間を作ろう。子供の前でも、しっかりしなくていいじゃない。できないことがあってもいいじゃない。仮面なんて被らなくても、誰の前でも、なりたい自分でいればいいじゃない。そうやって、自分に甘く、他人にも甘く生きているようになりたいと思う、今日この頃である。

 

 

まずは手を変えてみよう(地爪育成編)

ガッキーを目指すと言っている以上、自分のコンプレックスを一つずつ克服していかないと、タイトル詐欺になってしまうので、今回自分のコンプレックスと向き合ってみた話をしようと思う。

 

誰にでも、コンプレックスはある。コンプレックスを書き出すと、キリがない。新垣結衣みたいになりたい。美人になりたい。可愛くなりたい。漠然とああなりたい、こうなりたい、と思うことはあっても、いざ自分のコンプレックスを書き出して、どうすれば理想の自分になれるかを考えると、あまりに長い道のりに心が折れそうになる。

 

コンプレックスには2種類ある。自分の努力でどうにかなることと、自分の力だけではどうにもならないことだ。私と新垣結衣の共通点など、生物学的に女性であることと、高身長であるくらいだ。新垣結衣になろうと思ったら、もっと顔を小さくして、目を涼やかな二重にして、鼻筋を通して、かなり痩せないといけない。しかし、逆に言えば、背を高くしたり低くしたり、性転換をしたりなど、大掛かりなことをしなくても良いということなので、日々の努力でなんとかなりそうな気がしないこともない。そうやってポジティブに自分のコンプレックスと向き合わないと、ガッキーを目指すなんて大それたこと、なかなか言えるもんじゃない。

 

さて、私の長年のコンプレックスの一つに、指先の醜さがあった。母親譲りの薄爪で、すぐに割れてしまうので、いつも深爪になってしまい、あまり人に見られたくないと思っていた。

頑張って伸ばして、透明のマニキュアで補強してみたり、オイルを塗ったりしてもすぐに割れて、どんどん2枚爪になっていくので、ほとんど意味がなかった。

「深爪を治すなんて、なかなかできないよなあ」と思っていた。35年間ずっと薄爪で深爪なので、ほとんど諦めていた。

 

↓見せるのも恥ずかしいが、私の自爪である。

f:id:kawaiiyomeninaru:20210626092747j:plain

赤ちゃん並の爪の薄さで、少しの衝撃ですぐに割れてしまう。伸ばしても伸ばしても、白い部分しか伸びず、扇子のような形に段々爪が広がってしまうので不恰好だ。

指先というものは、人によく見られているところだ。レジでお金を渡すとき、友達に手土産を渡すとき、宅配便を受け取る時、等々。爪がきれいに手入れされているというだけで、女性らしさが増す気がするし、清潔感を感じられると思う。私は自分の爪が恥ずかしくて、レジでもさっと隠してしまうし、こまめにネイルをしているママ友達と見比べると、居た堪れない気持ちになる。

 

新垣結衣は、派手なネイルをしている印象はないが、それでもお洒落なカラーマニキュアを塗っていたり、清潔感のある素爪で女性らしい。顔を新垣結衣にするのは難易度高めだが、まずは手だけでも新垣結衣に近づけないものだろうか・・・。

 

長年コンプレックスだった爪を、この機会になんとかしたい!

堂々と人に見せれる指先になりたい!!

 

そう思い立って、「深爪矯正」で近所のネイルサロンを検索したところ、「地爪育成をしている」というサロンを見つけた。完全個室で、ネイリスト歴が20年近く、ネイルケアに力を入れているSさんの自宅サロンである。何よりも、おっとりとした笑顔のプロフィール写真に惹かれた。藁をも掴む思いで連絡をし、どうにかこうにか予約が取れた。

 

サロンに着くと、Sさんはイメージ通りのふんわりおっとりとした笑顔でお出迎えくださり、特に緊張することもなく、施術が始まった。

 

トマトスキーさん、すごく爪が乾燥していますね。かなり割れやすいでしょう。」

「人って、結構爪先を使って、色々作業しちゃってるんですよ。まずは意識から変えていきましょう」

「爪って変わらないと思ってるでしょう?でも、ちゃんと変わるんですよ。だから、安心してください」

 

ニコニコと笑いながら、爪を磨いてくださるSさん。正直、「こんな手入れもしてない爪で、サロンにくるなバカヤロー!」と怒られても仕方ないくらいに思っていたのだが、もちろん全くそんな素振りは見せず、終始細やかに爪の手入れについて教えてくださった。

 

↓そして、Sさんによって磨かれた爪が、こちら。

f:id:kawaiiyomeninaru:20210626095743j:plain

 

えっ!別人の手じゃないですか!!!!?

なにこのツヤツヤトュルンな指先!!!すっっっっっごくきれいになってる!!!爪がうるうるしてるぅぅぅぅ!!!!

 

「こ、こんなに変わるもんなんですね・・・」

「そうですよ(ニッコリ)ちゃんと手入れすれば、爪は変わります。トマトスキーさんは、ピンク部分を伸ばしたいということなので、ジェルをつけながら伸ばしていきましょう。少し意識をするだけで本当に変わりますから、楽しみにしていてくださいね」

 

Sさんのすごいところは、爪をきれいにしてくれるだけでなく、爪に対する意識まで変えるところである。これまで寝る前にハンドクリームを塗る程度だった私が、今ではゴム手袋をつけて洗い物をし、こまめにハンドクリームを塗り、空き時間はネイルオイルで爪先のマッサージをするほどにまで成長した。それほどまでに、Sさんの言葉は自信に満ちていて、「35年間深爪で悩んでいた私でも、きれいな爪になれる」という気持ちにさせてくれた。

 

Sさん自身の指先もすごくきれいで、「最近はジェルはせず、ずっと地爪で過ごしています」というだけあり、ネイルをしなくても女性らしく、爪の先までしっかりと手入れがされていて美しかった。白くてしっとりしていて、長すぎず短すぎず切り揃えられたピンク色の爪。「きっと新垣結衣の手ってこんな感じなんだろうなあ」と、思わず撫で回したい・・・(変態)と思ったほどである。そんなSさんも普段は家事と育児をこなす3児の母親で、それでもこの手をキープされているというのだから、今後もSさんから色々と教えていただきたいところである。

 

かくいう私は、爪をピカピカにした日の夕方に、ジャガイモの皮を剥くときに爪をピーラーで引っ掛けて、わずかに削ってしまうという失態を犯してしまった。ちょっとしたことでも、爪を傷つけてしまうことが結構たくさんあるんだなあと、毎日ヒヤヒヤしながら料理をしている。

 

また1ヶ月後、爪の手入れをしに伺う予定なので、普段どんなことに気をつけて生活しているのか、料理はどんな道具を使っているのか、掃除はどうやってしているのか・・・など、自分の日常生活に落とし込んでいけるヒントを、Sさんに色々と聞けたらと思っている。

 

 

BMW3シリーズカブリオレを手放して後悔したのは嫁の方だった

夫は車好きである。出会った時から、外車に乗っていた。服装もブランド物で固めていることが多く、当時手取り20万前後で、テレビもない部屋で生活していた私からすれば、「この人とは金銭感覚が合わないし、絶対に面倒くさい人に違いない」と、最初から恋愛対象外で、避けることが多かった。

 

しかし、ひょんなことから付き合うことになり、よくよく彼の嗜好を観察してみると、片っ端からブランド物に飛びついているわけではなく、雑誌を隅々まで読み込み、悩んだ末に買いに行き、買ったものは長く大事に使っていることがよく分かった。律儀にドッグイヤーをつけられたLEONを見た時には、「なんか可愛いやん」と胸がキュンとした。ギラギラした流行り物のブランド品はほとんど選ばず、品のいい長く使える物を選ぶことが多かったので、金銭感覚の違いをそこまで感じることはなかった。

 

とりわけ、車に対する愛情はすごかった。当時乗っていたのは、BMW3シリーズのカブリオレで、2ドアのオープンカーだった。中古車サイトで一目見て惚れ込んで、幼少期からの貯金をほとんど頭金に注ぎ込んだと聞いた。「グルル・・・グォォォン・・・」と唸るようなエンジン音がお気に入りで、燃費はめちゃくちゃ悪かったが、よくドライブに連れて行ってくれた。こまめに洗車に行って、車内もいつも綺麗だった。

 

結婚して、東京に転勤になった時も、カブリオレに乗って移動した。東京は物価が高く、当時住んでいた新宿のマンションは、築30年以上のボロボロの1LDKで家賃14万円、しかもさらに駐車場を借りるのに2万円というから、かなりきつかった。それでも彼は「この車は乗っていく」と、絶対に手放さなかった。東京に行くまでの道中、渋滞に巻き込まれ、あまりの燃費の悪さに、停車中にガソリンがなくなるんじゃないかとヒヤヒヤした。電車も地下鉄もバスもあって便利な東京で、よく車に乗って湘南に行ったり、お台場に行ったりした。

その後、静岡に転勤になっても、カブリオレは一緒だった。車で出勤していたので、帰ってきたら、あの「グォォォォン・・・グルルルルル・・・・」という独特なエンジン音が部屋の中まで聞こえてきて、よくベランダから顔を出して手を振った。そういえば、長男を妊娠して、38週を過ぎた頃、いつものように仕事から帰宅した夫の車のエンジン音を聞いて、ソファから体を起こしてベランダに出た瞬間、「バシャッ」と破水した。逆子だったので羊水がバシャバシャと溢れるように出て、祈るような気持ちで震えながら、夫のカブリオレで病院に直行した。その後無事に産まれた長男を、2シートの後部座席の狭い狭い空間に、なんとかベビーシートを取り付け、毎回ヒィヒィ言いながら乗せ下ろししていた。

どれだけ2シートで狭かろうと、車高が低くて乗り降りしにくかろうと、車幅がやたら広くて駐車場で困ろうと、燃費が悪すぎて毎回ハイオクを入れるたびに卒倒しかけようと、彼はいつもその車に乗るとご機嫌で、「今日もかっこええなあ」と満足そうだった。

 

 

あの車は、本当にいい車だったと思う。なぜ過去形なのかというと、今はもう手元にないからだ。

 

 

息子が生まれて半年ほど経ったある日、車検のお知らせが来て、ディーラーに見積もりに出したら、60万かかると言われたのである。コントローラーパネルに異常表示が出ており、それを直すのに、お金がかかると言うのだ。

夫は、すごく悩んでいた。小さい子供を乗せるのに、いつまでも2シートの車には乗れない、と薄々気付いていたからである。かと言って、引っ越し貧乏だった私たちは、車を2台持ちする余裕はなく、車検を通すために60万かけてまで、今後もこの車を維持して良いものか、苦渋の選択だった。

私は、「子供を乗せるには狭いよ。今は小さいから後部座席にも乗せられるけど、もう少し大きくなってきたら、いちいちシート倒して乗せてられへん。60万もかかるなら、違うのに乗り換えよう」と、買い替えを勧めた。夫も最後まで悩んで、悩んで、悩んで、とうとうカブリオレを手放すことにした。

 

 

 

私は、今でもこの時のことを後悔している。あの時、「こんなにいい車、手放したらあかん。乗れるところまで乗ろう。お金はもったいないけど、なんとかなる」って、なんで言ってあげられなかったんだろう。

もちろん、当時は本当にお金がなかったのだ。次の引っ越しも控えていたので、余計なお金を使うわけにはいかなかった。1〜2年ごとに引っ越しをしており、その度に引っ越し代や新しい家を借りるための初期費用は、自分たちで負担してきたので、自分たちが思っている以上に財政事情が厳しかった。

しかし、それでも、夫に「この車は手放したらあかん」と言ってあげられなかった、当時の自分の心の狭さを、後悔せずにはいられない。

 

 

 

カブリオレを手放して1年ほど経って、新しく車を買った。BMW5シリーズのツーリングだ。「子供も荷物も乗るし、ちょっと大きいけど、トマちゃんでも乗りやすいと思う」と、夫が全て見て、決めてくれた。新しい車を夫も気に入って、「これもええ車やな」「見た目もカッコええし」と、ご機嫌で乗っている。以前とは違い、車内は子供の靴についた泥や砂で汚れ、おやつの食べかすは溢れ、生活感で溢れているが。

 

そうやって、今の車もある程度満足して運転している夫であるが、たまに自分が乗っていたのと同じ型のカブリオレを見かけると、「あっ!俺の車や!!ああ、やっぱりカッコええなあ・・・もう一回乗りたいなあ」と、切なそうに呟いている。その横顔を見ると、どうしても私は胸が締め付けられて、あの時の自分の頭をどつきたくなる。

 

 

夫は車が好きなのだ。だからと言って、車に財産を注ぎ込んで、家族を路頭に迷わせるようなことになってはいけないが、夫が心から愛するものを、もっと大切にしてあげればよかったと、今になって心から思う。きっと、あの車を持ち続けていても、夫ならきっと私たちを路頭に迷わせることなどしなかった。だって、こんな言い方をしてはいけないが、たった60万なのである。お金がないことを言い訳にして、本当は、私自身が夫の力を信じていなかったのだ。夫なら、きっとあの車を手放すことなく、私たちにひもじい思いをさせることなく、なんとかできたはずなのだ。それに、私だって、どうにかしてお金をやりくりしようと思えばできたし、もっと耐えることもできたのに、それをしなかったのだ。

 

車を手放したあの瞬間、夫も私も、色々な何かを失ってしまった。愛車に乗る楽しさと乗せてもらう喜び、好きなもののために突き進む情熱、自分の大事なものをパートナーに認めてもらうことの感慨深さ、そういうものの先にある成長の機会・・・等々。なんてもったいないことをしたんだろう、と私の方が後悔の念に苛まれている。

 

 

夫は今パナメーラが欲しい」そうだ。もちろん、今すぐには無理だけれど、きっと彼なら、ある程度の見通しがついてから、真剣に検討し始めるだろう。その時、絶対に反対なんてするもんか。むしろ、「今すぐ買っといでや」と言えるくらいの嫁になっていたい。